MarthaIvy’s Story

日本在住、26歳で結婚、翌年に女児を出産し、育児休暇取得するも復帰1ヶ月前に突然の解雇を経験。そこから私が育児を通して経験したこと、気付いたこと、少しスピリチュアルな事も含め、誰かの気付きや幸せ、癒しに繋がればと思いブログを始めました。 24/7Happyなママ Marthalaです。

スピリチュアルを意識し始めたきっかけについて

私がスピリチュアルを意識し始めたきっかけを話したくなったので発信することにしました。

 

よく聞く話は、毎日のストレスやどうにもいかない状況に悩み悩んだ末に現実逃避の様な形で目に見えない世界に入って行ってスピリチュアルを勉強するようになったというパターンですが。

私は反対で、子供の頃から自分の思考が何故か周りと合わず、疑問に思うことが凄く多く、世の中に馴染めないような気持ちがずっとありました。

 

それって私自身が母子家庭で育ったし、周りの友達とは、環境が違うかったからと思っていました、18歳ぐらいまでは。。

 

高校は中退しましたが、高校を辞めたくなったのも、思春期の反抗心などではなく、私は何のために学校に行っているのかが心の底から本気で分からなくなったからです。

もっと言えば、高校3年生の時、就職活動という人生で大きな課題の第一歩が目の前に現れたときに、私は中学生から続けていたダンスの道で、既に就職先が決まっていました。というかもうインストラクターになる事がほぼ見えていて、実際にスタジオの代表からそういう話も貰っていたし、そちらの風景がはっきり自分の頭の中でイメージできていたし、その自分の気持ちに全くもってブレなど無く、むしろ自信が満ち溢れていてワクワクしていました。

そしで学校から帰ると、母と妹のご飯を作って、夜、母が仕事から帰って来ると私はバイトして稼いだお金で夜な夜な電車で、お金が無いときは自転車で、街のクラブ等に顔を出し、色んなDJやダンサーやお店の人、とりあえず自分がその道で進んでいきたい一心で自分ができる精一杯の事を行動にうつしていました。

友達や親戚、家族、周りから見れば年頃の女の子が1人で夜にそんな所に行って、、とか、クラブにハマってしまったんだとか、、そういう風にしか見えないのでそういう目で見られることも覚悟の上、自分の中で頑張っていました。

母親だけは唯一応援してくれていました。

 

だから、現実に戻ると、みんなと同じことして、学校の先生に言われた事して、、やりたくも無い事を我慢してみんなと同じ会社に就職する意味も分からなかったです。

そして私は高校3年生の秋、10月に退学。

自分の直感を信じて心を優先する事にしました。

 

あともうちょっとなのにもったいない。とかなんで?という声しか浴びませんでした。それも想定内、覚悟の上だったのでそこまで辛くは無かったです。

 

毎晩のようにクラブに行って朝帰りしてきっと荒れ狂ったんだと思われてたんでしょう。笑

 

私の中では何が勿体ないのか本気で分かりませんでした、そもそも高校卒業っていう肩書きが欲しかった訳でもないし、だいたい義務教育でもなんでもない。そしてなによりも、高校か大学が卒業したら、就職活動して、仕事して、結婚して、マイカー、マイホーム、子供、幸せ!!離婚したら貧乏で不幸!!

みたいな世の中の風潮?に疑問を持っていました。

 

まさに自分のおばぁちゃんや親がそうだったので子供の頃からまぁまぁ複雑な気持ちでした。

違和感無くそれが普通という感じだったらどんだけ楽だったかなと、ふと思うときもあります。

 

 

それは自分が結婚してからもそうでした。

そもそも結婚する前、私が17か18歳の頃、、友達の友達で、年上の警察官の男性と出会いました。私は正直、一目見た時から何故こんなに自分がこの人に惹かれるのか凄く不思議なぐらい惹かれていました。17や18の頃って、好きなら好きって言ってたと思うし、今ほど何も考えてないはずなのに、付き合うとかそういうのじゃなくて何か特別で大切な人って心のどこかにずっとあって、、、私の家は貧乏で母子家庭で団地住まい。そんな自分とは釣り合うはずがない。と強く思っていました。

その気持ちは消えないまま、バイト先のBarに来たDJの友達と付き合い、ダンスのインストラクターをしてたスタジオが急遽閉店することになり、生活の為にも一旦ダンスからは離れることに。

もうこれで忘れれるはず。と決心。好きだった人には彼氏が出来たと連絡しました。それから彼とは音信不通に。

そのあと縁あって、正社員として事務の仕事に就きごく普通のOL生活を送りました。

その流れで本当に好きな相手かどうかわからないけどもう私の中では本当にこれで良いのか凄く葛藤しましたが、どうせ自分なんか、、という気持ちもありその人とは気も合うし一緒にいて楽しかったので結婚しました。

 

そして結婚してからも、

女は男を立てて、結婚したら女が家を守って男は外で働いて、姑との問題、何十年我慢して連れ添って。それでこそ完璧な嫁

みたいな世の中の風潮にまた違和感を感じて。

子供を産むときは無痛分娩にしようとしていたらニュースで無痛分娩は危ないって言ってたよとか。結局普通分娩しましたが、産んでからは、実家に養生するのが一般的、添い寝するのが一般的、できれば母乳、夜泣きは当たり前、母親は寝る時間無いよ、みたいな流れにまた疑問。

 

私は子供は子供の部屋で寝させたいし、母乳じゃなくて欧米の液体ミルクを飲ませてたし、荷物とか、大変なのに実家に帰ることに不便さを感じでいたし、抱っこしたら抱き癖が付くとか、新生児から縦抱きは怖いとか、おくるみもスワドル使ってると、危険性とか、離乳食はお粥よりオートミール派。そんな人周りにいないし。もう日本の勝手な先入観みたいなものに押しつぶされそうになって、ストレスから産後うつになりました。

病院にも行って一時期低容量ピルも飲んでいました。

 

娘を産んで数年後、ホルモンバランスも整ってきて、鬱の症状も治った頃には、自分でもわかるほど違う私になっていました。

今までなら周りの目を気にしていたし、自分の気持ちなど後回しにしていましたが、それが出来なくなっていったのです。

自分の気持ちを押し殺して生きる事自体が間違ってることに気づきました。

それは産後、体型を戻す為だけに必死に通ったヨガがきっかけでした。

産後ちゃんと骨盤ベルトしていないと歳いってから大変なことになるとか、子供を産んだら体型は崩れるから仕方ないこと。みたいなそれも世の中の先入観が頭の片隅にあったからです。

 

絶対、そんな事ない、と、合間を見て旦那さんには嫌な顔をされながらも子供を旦那さんに預けて必死にヨガに通いました。

 

そのヨガをしているうちに考えがだんだん変わっていき、瞑想をするたびに自分の内側に耳をすますようになっていきました。

そこからますますヨガにハマり、挙げ句の果てには通うことをやめ、毎日の寝る前の習慣にヨガと瞑想を取り入れました。

 

だんだん、自分を生きたい!という意思が強くなり、何故こんなにも自分を押し殺して、毎日周りを気にして、毎日のように夫婦喧嘩して、、、育休終了、職場復帰前に遠回しなリストラ。職も失い、私はなにをしてるんだろうかと思うようになり、、、

最終的には、やりたくないことをやらなくていい。全部辞める!!!!!自分のしたいことだけする!!!!

と強く心に決めたあと、何気ない夫婦喧嘩から、夫から離婚の話があり、離婚に至りました。

最初は離婚するにあたっても揉めました、いわゆる養育費問題などそういったごく一般的な争いで。

でもそのあとは周りもびっくりするぐらい、なぜか不思議と状況が好転しました、今でも

夫とは仲良く、子供の為にお互いの役目を果たしています。

私は自分が母子家庭で育って、父親が居なくなるショックがすごかったので自分の子供に同じ事は絶対にさせたくない。と心の底から思っていました。そもそも離婚≠不幸だよっていうのを本気で世間に証明したいと思ったら、それなりに現実が動き出し、パート先でも正社員になり、会社を任せられることになるという。

宇宙は味方してくれているなぁとつくづく思います。

 

強く心に決めたら叶うということも同時に体験しました。

自分の心の声を優先に、自分の内側の声に応えてあげることで、人生は好転するということ。

宇宙に間違いは無い、全てyesであるということ。

スピリチュアルな内容については次の記事で詳しく発信していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今日も1人でも多くの人を癒せますように祈りを込めて👼MarthaIvy